ヒマナバロウズ

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「エンカ」

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エンカ(演歌)

ヨナ抜き音階

演歌が用いる音階の多くは日本古来の民謡等で歌われてきた音階を平均律に置き換えた五音音階(ペンタトニック・スケール)が用いられることが多い

稗搗節(ひえつき節) 唄:神楽坂はん子、三味線:豊吉・豊葭 - YouTube

”民謡「稗搗節」”

 

演説歌

「演歌」は「演説歌」の略語であり、明治時代の自由民権運動の産物だった。演説に関する取締りが厳しくなった19世紀末に、演説の代わりに歌を歌うようになったのが「演歌」という名称の始まりといわれる。

ダイナマイト節 :演歌壮士団作/ 土取利行(唄・演奏) - YouTube

”1883年 「ダイナマイト節」自由民権壮士 青年倶楽部”

 

演歌師

明治末期ないし大正から昭和にかけて、演歌を歌うことを職業とした芸人。

添田唖蝉坊・ノンキ節 / 土取利行(弾き唄い) Nonki-bushi/ Toshi Tsuchitori - YouTube

”1918年「ノンキ節 」添田唖蝉坊”

 

大正 はやり唄

船頭小唄 倍賞千恵子 - YouTube

”1923年「船頭小唄(枯れすすき) 」中山 晋平” 

 

昭和 流行歌

外資系レコード産業の成立によって、マイクロフォンを使用した電気吹込みによるレコード歌謡が誕生した。電気マイクの特質を利用した「クルーン唱法」

藤山一郎 「酒は涙か溜息か」 - YouTube

”1931年「酒は涙か溜息か」 藤山一郎”

 

戦中 軍国歌謡、大陸歌謡

軍国の母 美ち奴 - YouTube

”1937年 軍国歌謡「軍国の母」”

大陸歌謡の叙情は、戦後発生した演歌の大きな主題の一つである「北へのさすらい」の原形であるとも言われる。

戦争末期にはレコード産業自体にも統制の手が及び「不要不急産業」として工場を軍需工場に転換され、企業活動は出来なくなった。1944年には「月夜船」以外流行歌は発表されなくなった。

1945年終戦

戦後「リンゴの唄」(1946),「東京ブギウギ」(1947),「青い山脈」(1949)などの歌謡曲が流行。

 

1950年代 

美空ひばりがデビュー「悲しき口笛」(1949)、「東京キッド」(1950)、「リンゴ追分」(1952)などの歌謡曲を立て続けにヒットさせる。

赤いランプの終列車 春日八郎 - YouTube

1952年「赤いランプの終列車」春日 八郎”

浪曲民謡出身の演歌歌手

三橋 美智也 1954年「酒の苦さよ」でデビュー(もともと民謡歌手として活動していた)

三波 春夫 1957年芸名を「三波春夫」と改めて歌謡界へデビュー(浪曲師・南篠文若)

村田 英雄 1958年 古賀政男が歌謡曲化した浪曲歌謡『無法松の一生』でデビュー

1950年代後半になり望郷歌謡春日八郎の『別れの一本杉』、三橋美智也の『哀愁列車』、三波春夫の『チャンチキおけさ』など こうした歌謡曲は演歌調と呼ばれ、それ以降演歌というジャンルが誕生し、定着する。

 

1960年代

旅がらすロック/恋路 シャープファイブ(思い出のEPレコードから) - YouTube

”1968年GS演歌「旅がらすロック」シャープファイブ”

1963年、コロムビアの一レーベルであったクラウンが「日本クラウン」として分離独立し「演歌」を専門とするようになる。流行歌と「演歌」が分裂した。

北島三郎、橋幸夫、都はるみ、青江三奈、水前寺清子、千昌夫、森進一、藤圭子、小林幸子 等が登場。老若男女から支持され演歌は空前の全盛期を迎える。

演説歌は戦後に流入したアメリカンフォークの影響によって「フォーク」に変わる。演歌と呼ばれなくなったことで、ヨナ抜き音階や小節を用いた歌謡曲の派生形が「演歌」と呼称されるようになった。

山谷ブルース 岡林信康 - YouTube

”1968年 フォーク「山谷ブルース」岡林信康”

 

1970年代

五木ひろし、八代亜紀、森昌子、牧村三枝子、石川さゆり、中条きよし、西川峰子、細川たかし、新沼謙治、川中美幸、チャダ 等が登場。

フォーク、ニューミュージック、アイドル歌謡などと競い合いながら安定した発展を見せていた。一方で森進一がフォーク歌手・吉田拓郎作の「襟裳岬」を歌うなど演歌と他のジャンルとのコラボレーションがはじまる。

八代亜紀の猫 なみだ恋 Singer's cat - YouTube

”1973年「なみだ恋」八代亜紀”

 

1980年代

中高年の間でカラオケブームが起こり歌いやすさを意識した演歌が台頭した。しかし若者のポップス志向がより強くなったこともあって、演歌離れもこの頃から進んでいった。1984年に都はるみ、1986年に森昌子引退 1987年に石原裕次郎、1989年に美空ひばり死去。

また吉幾三や長山洋子など他ジャンルからの演歌転向者や、ニューミュージックから演歌に寄った堀内孝雄や、ポップス寄りの演歌を歌う桂銀淑のように独自のスタイルでヒットを出す歌手も現れ「ニューアダルトミュージック」という新しいジャンル名も生まれた。

吉幾三 - 俺ら東京さ行ぐだ - YouTube

”1984年「俺ら東京さ行ぐだ」作詞・作曲・歌 吉幾三”

 

1990年代

坂本冬美、香西かおり、伍代夏子、藤あや子、城之内早苗がデビュー。

1990年代も半ばを過ぎると若者の中に支持者がほとんどいなくなった上、大御所歌手のヒットも年々減少し、演歌の衰退は激化。

 

2000年代

2000年に大泉逸郎の「孫」や氷川きよしの「箱根八里の半次郎」がヒット

2008年にデビュー曲「海雪」がヒットしたジェロは初の黒人演歌歌手

2008年 ”平成の美空ひばり”さくら まや 史上最年少(10歳)演歌歌手として「大漁まつり」でデビュー

2008年チャダ再デビュー

 

2010年代

有線などでの小ヒットはあるものの全体的な低迷が続いている。

 

参考

演歌 - Wikipedia 流行歌 - Wikipedia ライター・アーカイブ

 

www.youtube.com